日野皓正の殴打から考えること

 どうも初めまして。日野皓正さんの事件についてTwitterのタイムラインを眺めていると、いろいろ指摘しておきたいところがでてきてしまいまして、こちらのアカウントを取得しました。匿名ですみません。実名がバレても問題ないくらいの責任感では書くつもりです。最後までおつきあいいただければ幸い。

 そもそもの発端はこの記事なのかな。

世界的ジャズ・トランペット奏者、日野皓正が男子中学生をビンタする驚愕動画 | デイリー新潮


 映画『セッション』(内容にそぐわない最低の邦題です)みたいにはいきませんでした、という事件ですね。『セッション』の主人公は彼なりの怒りと屈辱からアレをやりましたが、今回の中学生ドラマーにものっぴきならない何かがあったのでしょうか。無我夢中でやってしまっていたのか、決意のようなものがあって意識的にやっていたことなのか…。

 その後、日野さん本人のコメントが出てきました。

日野皓正、中学生へのビンタは教育…「必要な時もある」/芸能/デイリースポーツ online

 
 「でも、必要な時もあるんだよ。それだけのこと」という発言と、今後、生徒がまた同じことをした場合への対応についての「手は上げないで、『やっぱりお前は無理だからやめよう』という」との回答とを両方読むと混乱しますね。「やめよう」といってもやめなかったら結局また殴るんじゃないでしょうか。報道陣への苦言は逆ギレとしかいいようがないし、大丈夫なんだろうか。

 いろいろな意見を眺めていると、「当事者の中学生が反省し謝罪しているのだからもうこれ以上問題にするべきでない」という意見がたくさん出てきました。私はそうは思いません。二人のあいだで和解がされていても、「体罰は時と場合によって容認されるべきか」の問題はあまり多くの合意点を産み出していません。教育に関する訓練を積んでいないアーティストが青少年と関わるときに起こりうる問題と対策について十分な議論が共有されたとはとてもいえません。もう少しプラクティカルな分析をしていかないと、同種の事件が際限なく起こってしまう。

 私は演劇人で、演出と劇作を専門領域にしています。演劇のほうでもアウトリーチ活動というのは盛んで、私も小学校から大学、プロ向けの養成所、専門学校などさまざまな場所で指導をしてきました。とある研究会に加わった時期には幼稚園や障害者とのワークショップに参加したこともあります。ここから私が述べることはそういった経験をベースにしているものとご理解下さい。

 私がワークショップにあたって採用している基本姿勢は、「うまくいかないことが起こったらそれはファシリテーターの責任」というものです。(世田谷のDream Jazz Bandは厳密にいえばワークショップではありませんけれども、その議論はここでは省きます)これは前述の研究会でイギリス人の講師から教わった考え方です。小学生や中学生と演劇をやるときには本当にいろいろなことが起こります。それでも、全てのことに対応していかなくてはならない。

 具体的には、事前準備をしっかりとやります。プログラムを何パターンも組み立てておく。ちょっとうまくいかないな、と思ったときにいくらでも打つ手があるようにしておくんですね。雰囲気が硬いな、と思ったときにはこれ、ヒートアップしすぎて危険だな、と思ったときにはこれ、と手札を揃えておくと、柔軟にプログラムを変更することができます。

 そして、毎日の導入をきちんとシミュレーションします。絶対に守ってほしいことはなにか、どういうことを期待しているかを伝え、取り組む課題をできるだけスマートに説明します。

 そもそもの下準備も大切です。学校の場合は先生から、劇場などの場合は担当のコーディネイターから、どのような参加者がいるか、特に気をつけるべきひとはいるか、どのようなトラブルが想定されるか、そのときに誰がどうするかなどをハッキリさせておきます。これも当日に自分がリラックスして入るために大切なことです。

 演劇では身体と感情の両方を動かしていくので、音楽や美術の場合と比較して「危険な事故」が起こりやすいという理由はあります。ノリでやっているとたいへんなことになってしまうんです。どうあっても生徒たちの心身を健康なまま終了させなくてはいけない。

 話がそれますが、学校のような場所でアーティストが失敗するパターンのひとつは、自分がやりたかったメニューにこだわりすぎて変更がきかない、というものです。そしてうまくいかなかった原因を生徒たちのほうにするアーティストがいます。「最近の子供は…で…でダメだ」というような愚痴を何度耳にしたことか。それは、つまらないメニューを強制させたほうに問題があるのだと私は思うのです。

 さて、アーティストを招聘するコーディネイト側のひとはどのようなことに気をつければよいでしょうか。「日野さんの件、どう思われますか?」ときいて人となりを探るのもよいかもしれませんね。ひとつおすすめしたいのは、いかなる場合にも参加者に暴力を振るわないという一筆をもらっておくことです。絶対にそういうことをしないでくださいねというメッセージになります。偉いアーティストのひとにそんなことを、と思われるかもしれませんが、講師契約などではごく普通のことです。セクハラ行為をしないというのもついでに誓約してもらうとよいのではないでしょうか。

 もう一つはプログラムの進行について事前に確認をしておくということです。これも大学でシラバスなどを要求するのは普通のことですから遠慮はいりません。「適当にやりますよ」というようなアーティストは招聘を考え直した方がよいです。「このメニューはハードルが高すぎるような気がしますがうまくいかなかった場合の対策はどうなっていますか?」というような質問ができないなら、だいぶまずい。

 まあ、丸投げするつもりであれば逆に、「開催中のすべてのトラブルはアーティストが責任を負います」ということをハッキリさせて「トラブルおこすなよ」というプレッシャーをかけたほうがいいでしょうね。

 ここで、体罰についての私の考え方を明確にしておきます。教育の現場で体罰がどうしても必要だという考え方を採用するのであるならば、文科省は「正しい体罰」のガイドラインを定め、必要な資格教育を行うべきです。どのような場合に誰が何を基準に実施を判断するか、どのように行うかを明確にしなくてはならない。もちろんその都度、学校、教育委員会、父兄への報告書が必要でしょう。録画を義務づけるべきかもしれないし、教頭などほかの教員の立ち会いも必要です。現状は個々の教員が勝手に判断して勝手に実施している、無秩序で危険な指導法です。「当校ではこのような場合にこのような体罰を行います」というようなルールも明示されていない。それで生徒との合意もないのですから、動機や目的が何であれ暴行であり、傷害事件にほかならないのです。僕の同級生には鼓膜を破られたのがいました。「キレて怒りをぶつける暴力教員」の存在を許容する現状には強く反対です。導入がどうしても必要ならばそれに沿ったルールを定め、きちんとやるべきだと思いますがいかがでしょうか。「正しい体罰」があるならば「正しい体罰」だけをやり、絶対に行き過ぎが起こらないようにコントロールしなくてはいけません。

 日野さんの件に戻ります。きっかけとなったのは中学生ドラマーの「ルール破り」のようですね。当日のステージにおける約束事を無視した暴走を日野さんが制止した、という内容です。予定されていた進行を中学生がどれだけ妨げたか、という詳細が明らかになるにつれ、「必要なときもあるんだよ」という日野さんの言葉に共感する方も多くなっているようです。たしかに、強制的に演奏をやめさせることが必要だったケースかもしれません。4ヶ月の積み重ねが最悪の方向にいってしまった怒りと悲しみは大きなものでもあったでしょう。

 しかし、その「必要なとき」はなぜ起こったのか? を考えてみる必要があります。2005年から毎年問題なく行われていた演奏で、なぜこんなことが起こってしまったのか。

 外野から率直に思うこととしては、「4ヶ月の指導はなんだったのか」ということです。本番をぶち壊しにしてしまったのはその生徒ですが、そうさせてしまったのは指導者です。結果的には指導力不足だったのです。「トラブルが起こったらすべてファシリテーターの責任」という考え方に沿えばそうなります。

 「毎年問題なくやれていたのにそんなこと予測できるかよ」という考えはあるでしょう。たしかに今回のような、本番で突然暴走し制止に従わない、という事件は予測が難しいと思います。しかし、「小中学生は何を考えて何をするかわからないから、当然と思えることでも入念に説明を重ねていこう」という慎重なコミュニケーションがあれば、暴走は防げたかもしれません。あらゆるトラブルをひととおりシミュレーションしていたならば、予想外のできごとであっても冷静にハンドルできたかもしれません。「トラブルが起こったなら全て自分の責任」という哲学があれば、感情的に怒りをぶつけることなく最善の対応ができたかもしれません。

 殴ったことそのものが大きな問題なのですけれども、分析していくと、「対応の難しい事態に陥ってしまった」ことが第一の問題であり、「そのときに殴る以外の手段を検討できなかった」ことが第二の問題です。

 日野さんが予想外のできごとにうまく対応できずに手を出した、というふうに考えると、「才能に期待しているからこそ厳しい指導をするのだ」といった擁護意見は大きく的を外しているといえるでしょう。才能に期待していたら殴っていいっていうのもとても奇妙な理屈ですけれどもね。

 どんなにシミュレーションを重ねても、かならず予想外のできごとは起こります。ただ、ある程度の準備をしておくことでそれなりに冷静な対応はできるものです。絶対に暴力に頼らずにトラブルを解決するという心構えを持つかどうかが重要で、それは誰にも可能なことである筈です。

 いや、お前はできるかもしれないが俺にはできねえよ、というアーティストさんはそれではどうしたらいいのか。最初に正直にアナウンスするしかないでしょう。「いうことをきかないやつは殴るかもしれないからそのつもりでいろよ」と。実際に暴力を振るうかは別として、その宣言をすることである種の事態を未然に防ぐことができます。逆に、そういった工夫をしていないならばやはり、怠惰であり油断なんだと思うのです。